村上雅人、MD
.日本の心身醫(yī)學(xué)認定トレーナー
.心療内科(kē)醫(yī)
.日本内科(kē)學(xué)會認定
.日本リウマチ専門醫(yī)認定リウマチ専門醫(yī)
.日本醫(yī)師會認定専門醫(yī)
.日本ストレス學(xué)會副會長
| 日本の病院が推奨
當院では、患者さんの利便性向上の一環として、IVR(自動音聲ガイダンス)を導入しております。患者さんや當院にお問い合わせくださる方へ円滑な対応ができるように努めてまいります。 受診予約・お問い合わせ等については、以下の電話番号におかけいただきますようお願い申し上げます。
北裏研究所病院のルーツは近代醫(yī)學(xué)の父北裏柴三郎先生が、福澤諭吉先生のご援助で明治25年に設立された伝染病研究所に遠く遡ります。その翌年、附屬施設として日本初の結核療養所「土筆ヶ岡養生園」が建てられました。大正3年(1914年)には北裏研究所が創立され、2年後に當院の前身である「北裏研究所附屬病院」が開院しました。そして昭和6年(1931年)に「北裏研究所附屬病院」と「土筆ヶ岡養生園」と合併して、現在の病院の基礎が形作(zuò)られました。昭和20年(1945年)には戦災で焼失したにも拘わらず、多(duō)くの篤志(zhì)家や企業のご寄付で、昭和29年(1954年)に當院は蘇ったのであります。こうして100年を超え脈々と受け継がれてきた北裏研究所病院の志(zhì)こそが、私たち全職員の誇りであります。
明治44年2月11日、明治天皇が時の内閣総理(lǐ)大臣桂太郎を召され、「醫(yī)療を受けられないで困っている人たちが、よい醫(yī)療を受け、再起の喜びをもてるような施設をつくるように」という趣旨の『済生勅語』と、その基金として禦手元金150萬円を下賜されました。