NTT東日本 関東病院
病院概要
名(míng)稱 | NTT東日本関東病院 |
所在地 | 〒141-8625 東京都品川區(qū)東五反田5丁目9番22号 |
許可(kě)病床 | 594床(一般病棟544床 精(jīng)神病棟50床) 使用(yòng)可(kě)能(néng)病床 594床(一般病棟544床 精(jīng)神病棟50床) |
外來患者 | 1,537人/日(2021年4月~2022年3月) |
入院患者 | 377人/日 平均在院日數9.9【9.2】※【】内は一般病床 (2021年4月~2022年3月) |
総敷地面積 | 39,500m² |
常勤職員數 (2022.4.1現在) | 醫(yī)師:199名(míng) 研修醫(yī):24名(míng) 看護師:730名(míng) 薬剤師:40名(míng) 技(jì )師:214名(míng) |
院長挨拶
院長 大江隆史
當院は「人と、地域と、つながる醫(yī)療」をモットーに、地域連攜を大切にしながら、多(duō)くの患者さんに醫(yī)療を提供しております。
1952年、當院の前身となる関東逓信病院が、五反田の地に開院されました。 當時はNTTグループの前身である日本電信電話公(gōng)社の職域病院であり、患者さんは職員とそのご家族に限定されていましたが、1986年に保険醫(yī)療機関の指定を受け、一般に開放されたという歴史があります。このように、當院はNTT東日本の直営病院であり、大部分(fēn)の職員がNTT東日本の社員として働いております。
「私たちはNTT東日本の社會的貢獻の象徴として、醫(yī)療の提供を通して病院を利用(yòng)されるすべての人々、そして病院で働くすべての人々の幸せに盡くします」これは、私たちが掲げる確固たるミッションです。かかりつけ醫(yī)とスムーズに連攜をとりながら機能(néng)分(fēn)化し、地域の中(zhōng)核病院として専門的な醫(yī)療を提供し続けることで、患者さんやご家族に満足していただけるよう心がけております。
大江 隆史(おおえ たかし)
1985年 東京大學(xué)醫(yī)學(xué)部卒
専門:整形外科(kē)
前職:名(míng)戸ヶ谷病院 院長
2015年4月 當院整形外科(kē)主任醫(yī)長
2018年4月 整形外科(kē)部長
2020年4月 副院長兼務
2021年4月 病院長就任
理(lǐ)念と基本方針
NTT東日本関東病院の理(lǐ)念
私たちはNTT東日本の社會的貢獻の象徴として、醫(yī)療の提供を通して病院を利用(yòng)される全ての人々、そして病院で働く全ての人々の幸せに盡くします。
※當院は、東日本電信電話株式會社によって運営されております。
基本方針
1.患者さんの権利と人格の尊重
患者さんの権利と人格を尊重し、心のこもった患者さん中(zhōng)心の醫(yī)療を実踐します。
2.世界的視野に立った最高の醫(yī)療の提供
世界的視野に立った最新(xīn)の技(jì )術に基づき最高の醫(yī)療の提供を目指します。
3.チーム醫(yī)療の推進
各診療科(kē)、各部門、各職種の専門スタッフによるチーム醫(yī)療を推進します。
4.適切なリスク管理(lǐ)と安(ān)全な醫(yī)療の提供
インシデント・アクシデント情報の収集・管理(lǐ)および分(fēn)析を徹底し、継続的に安(ān)全対策を実施していきます。
5.地域醫(yī)療の発展と連攜の推進
地域の中(zhōng)核病院として、救急醫(yī)療(二次救急)や他(tā)の醫(yī)療機関からの紹介患者さんの受け入れ、また、他(tā)の醫(yī)療機関への患者さん紹介などの地域醫(yī)療連攜を積極的に推進します。
6.ITの醫(yī)療への活用(yòng)と社會への還元
日本を代表する情報流通企業であるNTT東日本の病院としての特徴を活かし、電子診療録などのIT技(jì )術を醫(yī)療に積極的に活用(yòng)するとともに、最新(xīn)の技(jì )術を社會に還元していきます。
國(guó)際診療科(kē)
「英語対応」、「総合的診療」かつ「患者さんによりそう」ヘルスケアをお探しの外國(guó)人患者さんへ。 日本では多(duō)くの病院が質の高い、細分(fēn)化された専門領域の診療を提供してきました。しかし外國(guó)人患者さんの多(duō)くが日本で必要としているのは、さまざまな症狀や狀態に対応できる幅広い知識を持った総合診療醫(yī)と、スムーズにコミュニケーションのとれる診療です。NTT東日本関東病院では、こうしたニーズに応えるため、2020年4月に「國(guó)際診療科(kē)」を新(xīn)設いたしました。
醫(yī)師一覧
佐々江龍一郎,MBBS nMRCGP(國(guó)際診療科(kē)部長)
日本で生まれ12歳で渡英し、2005年にノッティンガム大學(xué)醫(yī)學(xué)部を卒業。英國(guó)家庭醫(yī)療専門醫(yī)取得。以來7年、ロンドンで総合診療醫(yī)として勤務。2016年に日本醫(yī)師免許を取得し、2017年から當院で勤務。英語診療と総合診療に精(jīng)通。
林宏明, MD
東京出身。インターナショナルスクールに通った後、シカゴに移り、シカゴ大學(xué)の學(xué)部を修了。その後ジョージタウン大學(xué)で修士号を取得し、2013年にRush Medical Collegeで醫(yī)學(xué)博士号を取得。さらにラッシュ大學(xué)メディカルセンターで内科(kē)のレジデントを修了し、その後5年間ホスピタリストとして勤務。16年間のシカゴ生活を経て、2021年に日本に帰國(guó)し、河北総合病院総合内科(kē)に勤務。2022年4月より當院で勤務。幅広い病狀を管理(lǐ)し、特に周術期醫(yī)療と患者の安(ān)全・質に注力している。
坂間玲子, MD PhD
2003年北裏大學(xué)醫(yī)學(xué)部卒業。NYでカウンセリングを學(xué)び、USMLE Step 3まで取得。
帰國(guó)後に日本内科(kē)學(xué)會総合内科(kē)専門醫(yī)、日本老年醫(yī)學(xué)學(xué)會老年病専門醫(yī)等を取得し、2020年に順天堂大學(xué)醫(yī)學(xué)部・大學(xué)院醫(yī)學(xué)研究科(kē)を卒業。2021年4月から當院で勤務。
お問い合わせ先
國(guó)際診療科(kē)
直通 03-6721-6239 (平日8:30-17:00、日本語・英語・中(zhōng)國(guó)語)
nttihc-ml@east.ntt.co.jp (メールアドレス)
※@east.ntt.co.jpのドメインを受信できるように設定をお願い緻します。
検査項目・オプション一覧
オプション検査:
頭部MRI・MRA
もの忘れ検査
心臓超音波・負荷心電図
頸動脈超音波
骨密度測定検査
マイクロアレイ検査
遺伝子検査
お問い合わせ
當院では、患者さんの利便性向上の一環として、IVR(自動音聲ガイダンス)を導入しております。患者さんや當院にお問い合わせくださる方へ円滑な対応ができるように努めてまいります。
受診予約・お問い合わせ等については、以下の電話番号におかけいただきますようお願い申し上げます。
紹介狀(診療情報提供書)をお持ちの方は、お手元にご用(yòng)意の上、お電話ください。
紹介狀をお持ちの方で、初診の方は≪こちら≫からWeb予約も可(kě)能(néng)です。
※受診日當日および予定日のご予約の変更・キャンセルにつきましては、患者さんの診療の著しい遅れを発生させるほか、健康上の不利益や不具(jù)合を生じさせる可(kě)能(néng)性がございます。そのため原則として、ご予約の変更・キャンセルはお受けいたしかねます。
なお、急な體(tǐ)調の変化ややむを得ない事情により、ご予約の変更・キャンセルをご希望の患者さんにつきましては、通常受付時間内にお電話をおかけください。
その際、他(tā)の患者さんの予約等の都合により、ご希望の予約日等に添えないことがございますので、あらかじめご了承ください。
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當院では、患者さんの利便性向上の一環として、IVR(自動音聲ガイダンス)を導入しております。患者さんや當院にお問い合わせくださる方へ円滑な対応ができるように努めてまいります。 受診予約・お問い合わせ等については、以下の電話番号におかけいただきますようお願い申し上げます。
北裏研究所病院のルーツは近代醫(yī)學(xué)の父北裏柴三郎先生が、福澤諭吉先生のご援助で明治25年に設立された伝染病研究所に遠く遡ります。その翌年、附屬施設として日本初の結核療養所「土筆ヶ岡養生園」が建てられました。大正3年(1914年)には北裏研究所が創立され、2年後に當院の前身である「北裏研究所附屬病院」が開院しました。そして昭和6年(1931年)に「北裏研究所附屬病院」と「土筆ヶ岡養生園」と合併して、現在の病院の基礎が形作(zuò)られました。昭和20年(1945年)には戦災で焼失したにも拘わらず、多(duō)くの篤志(zhì)家や企業のご寄付で、昭和29年(1954年)に當院は蘇ったのであります。こうして100年を超え脈々と受け継がれてきた北裏研究所病院の志(zhì)こそが、私たち全職員の誇りであります。
明治44年2月11日、明治天皇が時の内閣総理(lǐ)大臣桂太郎を召され、「醫(yī)療を受けられないで困っている人たちが、よい醫(yī)療を受け、再起の喜びをもてるような施設をつくるように」という趣旨の『済生勅語』と、その基金として禦手元金150萬円を下賜されました。